正視眼では見られない中国(1)
北京オリンピックを機に私の中国体験記を機会あるごとに綴ってみたいと思います。
私は中国・上海に1998年から1年間だけアメリカ企業の駐在員として滞在していました。
その時見聞したことを書きます。
新聞やテレビではわからないことを垣間見ることができるかもしれません。
第一回目はなんで中国まで乗り込んでいったのかです。
当時、アメリカ在住の中国人にそそのかされたんですね。
「12億(当時)の人に1本1セントの鉛筆売ったら1200万ドルになるぞ」の言葉にやられてしまったんです。
当時の中国の経済状態も知らず、のこのこと上海にアメリカの会社を設立して事務所を構えたんです。
でも、私はヘッドになれず(全額出資したのに)その”口うまし”の友人が社長に。
私はアメリカからの派遣駐在員に。
上海在住中、パスポート、外国人登録証、上海市在住者証、外国企業証など胸ポケットを膨らませて外出したもんです。
会社設立はどこでもよくなく、指定された箇所から選ぶ形で、結局、目抜き通りの南京路に。
中国国営企業所持のビルの1室。
事務所開設での一悶着は「社長の机は立派なものじゃなくては(メンツ主義の決定的)」と狭い部屋に半分を占めそうな大きな机を購入(その友人が)。
「おい、まだ政府から営業許可証が降りてないじゃないか」と彼に聞くと「大丈夫。ちゃんと手回ししてあるから」と言うじゃありませんか。
彼の知人の上海市衛生局の局長に頼んであるから、と言われました。
通常、申請してから3ヶ月くらいかかるところが2週間で取れたから、友人の人脈を誉めるべきか、「こんなもんか」と呆れるべきか。
私の取り扱う品目は建築資材で全く衛生局と関係ないのに。
初っ端から”妙な中国”に驚かされました。
それから日を増すごとに奇妙な出来事が連発します。
仕事だけじゃなく生活面でも。
おいおい実体験を語っていきたいと思います。
次回ご期待。
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