アメリタ老の日々

アメリカ暮しが長いリタイヤおじさんの暮らしぶりを紹介

正視眼では見えない中国(6)



私は中国・上海1998年から1年間だけアメリカ企業の駐在員として滞在していました。


その時見聞した奇妙なことを書きます。


ロサンゼルスでの2週間深呼吸を終えて、成田経由で上海に戻りました。


成田からは中国東方航空を利用することは会社の連中も知っていました。


上海・虹橋国際空港(当時)に飛行機がつき、搭乗通路が横付けされました。


CAが期待の扉を開けると、そこには秘書の兵兵くんがいるではありませんか。


社長(さ朝は中国人の私の友だちでしたが、実質的には全額出資の私が社長か)お帰りなさい。こちら林さんです。元人民軍幹部の方です。会社まで送ってくださるそうです」と黒の背広を着た男の人を紹介してくれました。


飛行機が着いたばかりの通路のところですよ。


兵兵くんの話では社長(私のこと)のことを話ししたら、のジープ迎えに行ってあげると言ったっそうです。


入国検査乗務員専用通路パスポートをチラ見しただけ。


通関なんてあったものじゃありません。


兵兵くんが「どの荷物ですか?」と聞いて「それと、これと」とか言ってジープ軍人指示しています。


空港まん前には軍用ジープが止まっています。


「お疲れでしたでしょう。どうぞ」と上手な英語でその黒スーツの林さん。


空港敷地を出ると、上海市への目貫通り渋滞中


「社長、サイレン鳴らして行きますからすぐ着きますよ」と訳のわからないことを言います。


そうするとジープの運転手サイレンを鳴らしました。


渋滞中の車は蜘蛛の子を散らすように道両側に車を止め、道中央通路を作りました。


「さすが林さんですね」と兵兵くん感心した表情です。


で、結局、外灘会社事務所まで快適に行くことができました。


(普通30分くらいで行けるのですが、一度渋滞していてロサンゼルス行きの飛行機に乗り遅れた苦い失敗がありました)


一体、林さんて何なの?


林さん兵兵くんの知人の友だちに過ぎないのに。