アメリタ老の日々

アメリカ暮しが長いリタイヤおじさんの暮らしぶりを紹介

正視眼では見えない中国(11)



私は中国・上海1998年から1年間だけアメリカ企業の駐在員として滞在していました。


その時見聞した奇妙なことを書きます。


上海に進出した私の会社、まだまだ取引先も出来ず、毎日が開店休業状態。


社員は格好だけ5、6人はいたかな?


一応、8時に始まって、4時には終業


昼時間午前11時半から1時間。


なぜ11時半からかっていうと、私の会社は(と言うより外国からの企業は)国営企業華東電力という電力会社のビルに身を寄せていたから。


そこの社員が地下食堂で一斉に12時から昼食を取るためっ私たちは早お昼を強いられていたわけ。


初めのうちは毎日、そこの食堂昼食を食べていたけれど、だんだん飽きてきて外食(外のレストランで)するようになりました。


その方が美味しいし、そんなに高くないし、で。


時間も11時半じゃなくても、もうちょっと遅い時間でもかまわなし。


先ほど、そんな忙しい会社じゃなかった、と書きましたよね。


なのに結構外部からビジターよく来たんです。


それも11時から11時半ごろに集中して。


仕事に関係のない、社員友だちやら親戚が。


私を紹介した後は社員とダベりまくり。


上海語で何やら話してます。


12時のお昼になっても席を立とうとしません。


私が「さあ、ランチでも行くか?」と言うのを待ってるんです。


中国人の昔の挨拶に「你飯了嗎?」と言うのがありました。


ご飯食べた?」ってわけです


中国では「食事することができる」と言うことがとっても大事だったんですね。


だから「人に食事ご馳走する」ことはもてなしであり、常識みたいなところがあるんですね。


特に立場にあるは。


だから「さあ、ランチでも行くか?」の言葉を待ち受けてるんです。


彼を知ろうが知らないが。


要するにタダ飯食いに来たのです。


仕事もせず(おそらく無し)に、仕事も探さずに。


こんな毎日をおくっている中国人もいたのです。