正視眼では見えない中国(13)
私は中国・上海に1998年から1年間だけアメリカ企業の駐在員として滞在していました。
その時見聞した奇妙なことを書きます。
「社長、一体どこに行ってたんですか?」と運転手の兵兵くんが焦った顔して聞いてきました。
「ちょっと、外をぶらついてたんだ」と私が言うと、「困りますよ、ちゃんとどこ行くかとか、いつ帰るかとか教えてくれなきゃ」と文句を言われました。
要職にあるからと言っても、プライベート時間くらいは自由にさせてくれよ、です。
携帯電話のなかった当時、いちいち外出時に連絡をするのも面倒なこと。
第一、そんなことより、私のホテル出入りはちゃんと監視されていたのです。
(上海で仕事を始めた当初、私の住まいは外国人専用ホテルの一室でした)
5つ星の国際ホテルのフロントはけっこう立派でした。
私が部屋としていた4つ星ホテルにはちゃんとフロントがありましたが、それとは別に各階エレベータ前に小さなフロントがあって、外出時、そこのフロントに部屋の鍵を預ける仕組みでした。
だからホテル側では私の部屋の出入りの他に、外出、帰宅の時刻まできちんと記録されていました。
兵兵くんはホテルに私がいるかいないかを聞いて、ちゃんと何時何分に外出したと知っていたのでした。
部屋の出入りも目撃されているし、ホテルの廊下にも監視カメラが設置されていて、姿をいつも監視されていました。
「まだいい方だよ。私らの時代なんかホテルのエレベータの中まで監視カメラがあったもんだよ」と知人が言っていました。
すなわち人の往来を監視しているのです。
ホテルのみならず、中国人専用のアパートでもです。
アパートは広い敷地にあっても、敷地の入り口は門のある一箇所だけ。
裏口なんてありません。
敷地はコンクリート塀で囲まれています。
門には守衛所と言うか見張り小屋があって必ず人の出入りをチェックしてるんです。
24時間です。
だから、一人っ子政策がしかれてた当時、一人っ子を連れた女性が妊娠でもしていようものなら、地域の共産党幹部に連絡され一人っ子政策違反として処罰されたのです。
私が中国人専用アパートに居住していて、警察の厄介になったのも、門番の通報でした。
このように、絶えず誰かに監視されていると言う猜疑心に駆られていました。
自由というものがこれほど良いものかを実感しました。
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