アメリタ老の日々

アメリカ暮しが長いリタイヤおじさんの暮らしぶりを紹介

建物見ると時代が見える



美味しいパストラミ・サンドイッチ(「食いしん坊の一人遠足」参照)で満腹になった体を軽くするため、デリを出た後、ブラブラと5キロほど歩きました。


ロサンゼルス目貫通りと呼ばれている「ウィルッシャー大通り」を。


サンタモニカの太平洋まで続く道なのですが、サンタモニカまで歩いて行ったら明日になっちゃうし、腹ごなしが空腹でまたなんか食べたくなっちゃうので、コリアタウンまで。


この大通りを歩くと時代移り変わり発展を垣間見ることができるので私は好きです。


パストラミを食べた「ランガーズ」は昔、ウエスト・レイクと呼ばれてた大きなつき公園の前にあります。


昔(戦前)はロサンゼルス市民の憩いの場でした。


太平洋戦争後、あの、ダグラス・マッカーサーの名を付けて「マッカーサー公園」と呼ばれています。


「マッカーサー公園」


今ではホームレスの憩いの場となってしまい、市は公園を金網で覆い「公園を綺麗にするため閉鎖します」と注意書き。


金網で囲われた「マッカーサー公園」


改修も一つの理由なんでしょうが、ホームレス締め出し犯罪防止、などもあるんじゃないの、と勘繰ってしまうのは私だけ?


水鳥が我もの顔で、邪魔されない大きな池で泳いでいます。


その金網公園(現在)前に巨大な、異様な建物が君臨しています。


日本で言うと大正期に建てられた「パーク・プラザ・ホテル」です。


「パーク・プラザ・ホテル」


もちろん現在では使われていなくて、何か工事をしていました。


このアール・デコのビルは建物の4隅をどでかい兵士ガードしているところです。


ビルを守る見事な巨大スタチュー


日本の鬼瓦を彷彿させるものです。


現代無機的な、効率第一主義の建造物とだいぶ違いますね。


こんなビルもあれば昔のタワマンもあります。


建てられた当初はすっごく立派なタワマンだったのでしょうが、今は映画俳優が住んでいるのではなく、メキシコ人親子たちが俳優気取り(?)で住んでいます。


昔のタワマン


このタワマンにも門前に沖縄シーサーよろしくライオンが牙を向いています。


もっと西に向かっていくと(すなわちダウンタウンから離れていくと)立派な、やはりアールデコの高いビルに出くわします。


このビルは「ブルックス・ウィルッシャー」と呼ばれていたデパートのビルです。


「ブルックス・ウィルッシャー」デパート跡ビルディング


現在では法律学校として使われていて、外観だけを昔のままに保っています。


私がロサンゼルスに引っ越してきた当時、もちろん「ブルックス・ウィルッシャー」は営業していて商品を買いに行ったもんおです。


先の「パーク・プラザ・ホテル」より3年後の1929年に建ったこのビルは、市民が郊外へとショッピングをしにきた様子が伺えます。


ちょうど現代アウトレット市郊外にできるのと同じようです。


現代ではこの目貫通りの「ウィルッシャー大通り」の下にはハリウッドへと続く地下鉄が走ると言う有様。


たった地下鉄駅1駅を歩いただけで時代変遷を見ることができます。


散歩の終点、コリアタウンも一体誰がロサンゼルス韓国人支配されるんだ、と思ったでしょう。