アメリタ老の日々

アメリカ暮しが長いリタイヤおじさんの暮らしぶりを紹介

「Hondo(ホンドー)」を読み終えて



英語西部劇を読むのは初めてでした。


「Hondo(ホンドー)」電子書籍版


日本人が司馬遼太郎幕末小説を読むのと同じような感じです。


この「Hondo(ホンドー)」は1953年にジョン・ウェイン主演映画化された「ホンドー」の原作です。


ジョン・ウェイン主演「Hondo(ホンドー)」のポスター


著者ルイス・ラムーアとういう西部劇小説を書いたらこの人の他にいないという人です。


この短編小説1952年にアメリカの雑誌に発表されたものを電子書籍版にしたものです。


あらすじは、愛馬を失ったホンドー・レインという騎兵隊の将校の主人公がアメリカ原住民アパッチの領域に女性1人男の子が暮らす牧場に現れるところから始まります。


彼女には主人が長いこと家を空けていて、女1人が住む地域でないのは知りつつも、半分アパッチの血を引くホンドーは騎兵隊の砦へと戻ります。


女っ気のない西部での出会いで、ホンドー彼女に心を惹かれます。


ホンドーが去った後、思った通りにアパッチに襲われ、勇敢にも6歳息子が母親を守り、襲ったアパッチ酋長から”小さな戦士”と崇められます。


それからはアパッチは母子の牧場を襲わなくなりました。


アパッチが違った地域で白人たちを襲う計画をしているとの情報を得たホンドーは偵察に出ましたが、アパッチに襲撃されて囚われ拷問を受けます。


雨雲の現れる日、「夫がいないのはよくない」と言うアパッチから「これがお前のか?」と傷だらけのホンドーアパッチが連れてきます。


彼女は「夫だ」とを言い、ホンドーを引き取りますが、ある時、偶然、彼が彼女のを銃で撃ち殺したことを知ります。


事実を知った彼女ホンドーとの一緒の行動躊躇しましたが、息子のことも考え、将来を”永久にホンドーの故郷、カリフォルニア、に行くことを決意するのでした。


そんな折、酋長の死んだアパッチが新しい酋長のもとに覆ってきて大乱闘となります。


ホンドー新酋長殺し、地域平和をもたらすと共に、新天地、カリフォルニア、に彼女と彼女の息子を連れて向かいます。


ざっと言うとこんな感じですが、時代劇同様切ったはったの場面は壮絶です。


生々しく酷いのは時代物でも西部物でも共通しています。


その様子をいかに描くかが作者技量だと思います。


劇画映画だとその場面が目で見られ感じることができますが、文章の場合はその書き方によって頭の中で様子を想像します。


著者、ルイス・ラムーアは自宅に1万7千冊もの歴史本蔵書があったと言われています。


相当な時代考証を積んだ上での執筆でなくてはたとえ150年弱前歴史小説書けないと思います。


1870年代アリゾナ地域自然騎兵隊アメリカ原住民開拓民放浪者の様子をその時居て見たかのように表現するのにはものすごい苦労があったことでしょう。


多くはありませんが映画で西部劇見たことありましたが、本で読むのは初めてでした。


おまけに英文であるため、カウボーイ容姿仕草銃・剣の取り扱い英語にはちょっと苦労がありました。


しかし、全体的に読みやすく文章も固くない、やはり雑誌に掲載されるような軽い読み物だと思いました。

いつもと違うビーチを散歩



初夏のような天気の良い日、今日の散歩はいつも行くレドンドビーチではないところにしました。


と、言ってもレドンドビーチの北隣にあるサモサビーチです。


スペイン語ですが”美しい”と言う意味です。


レドンドビーチからも行けるんですが、あえてハモサビーチからレドンドビーチへと歩きました。


バスに乗ってパシフィック・コースト・ハイウエイ(サンディエゴからサンフランシスコの太平洋岸を走っている州道)のハモサビーチ・ピア停留所で降りて、緩やかな坂を降りながらピア(桟橋)のあるビーチに向かいます。


ビーチまでの道の両側にはビーチ・タウンらしくレストランお土産店ブティックジュエリー店バーなどがこまごまと並んでいます。


レドンドビーチ家族で楽しめる観光地化したのに比べるとハモサビーチはちょっぴり大人のビーチっていう感じです。


坂を降りて行く途中、広くひろがる太平洋が道から見えて、なかなかの絵です。


この道を行くとピアにぶつかるんですが、ピアの前は広いプラザになっていて両脇にぎっしりアルコールが飲める酒場があります。


バーがぎっしり

ピアから見たプラザ

プラザにあるサーファー像


そしてピアとなります。


今でこそ頑丈な長さ300メートルのピアになっていますが、最初にできたのは木造で1904年です。


 

ハモサビーチ・ピア


魚釣りもできますが、アングラーチラホラしかいませんでした。


に目を向けると隣のマンハッタンビーチベニスビーチサンタモニカビーチへと続きます。


マンハッタンビーチ方向


を見るとレドンドビーチパロスベルデス半島(半島の向こう側が先日行ったサンペドロ、ロングビーチです)が見え、霞んでセント・カタリナ島も見えます。


ドンドビーチ、パロスベルデス半島、セント・カタリナ島


ハモサビーチマンハッタンビーチビーチバレーボールが盛んで、何面ものコートが用意されています。


ビーチバレーボール・コート


いつもなんですがピア先端まで行って、戻って来て、ハモサビーチレドンドビーチのビーチ沿いを結ぶストランド(自転車及び歩行者専用道路)を歩きます。


ストランド


このストランドは北はサンタモニカビーチ、南はトーランスビーチまで続いている自動車がいっさい通れない道で、ビーチを見ながら、反対方向にたちならぶ個性豊かな家々を見ながら歩けます。


海や見える景色や家々を見ながら歩いているといつも行ってるレドンドビーチの北の部分、キングス・ハーバー(ヨットハーバー)に到着します。


空気乾燥しているためかかず約5キロビーチ雑を歩いたでしょうか。


レドンドビーチピアの前ではロングビーチ行きバスが発車寸前だったので、飛び乗り家路へと向かいました。

男3人 ハリウッドへホットドッグを食べに



お昼の11時までに帰らなくては行けなかったのは月例男3人組お出かけの日だったからです。


11時半に私を迎えにいつものケビンマイク来るからです。


彼らの奥さん女性たち昼食会があるのでお出かけです。


余った男たちは一人もんの私を誘ってランチを食べに出かけるんです。


今回はマイク運転で、私たちのところから1時間はかかるハリウッドです。


ハリウッドの「ピンクス(Pink’s)」と言う有名で1939年創業ホットドッグ・スタンドです。


ピンクス(Pink’s)」は以前私が住んでいた近所になったのでしょっちゅう行ったところですが、今住んでいるところに来てからは遠くなったのでほとんど行っていません


5年ぶりくらいでしょうか。


ロサンゼルス国際空港の脇を通って、ビバリーヒルズを抜け、ゲイで有名なウエスト・ハリウッドを通り過ぎ1時間ちょっとかかって「ピンクス(Pink’s)」に到着しました。


12時半を過ぎたと言うのに「ピンクス(Pink’s)」前は大行列


「ピンクス(Pink’s)」スタンド前


COVIT-19もあったことでスタンドは厳重感染対策


そのために行列の進み具合は大変鈍いものでした。


行列好まないアメリカ人でもここでは辛抱よく行列を作ります。


お行儀よく順番を待つケビンとマイク


半分は地元(ロサンゼルスの人)からで残り半分は観光客です。


約1時間ほど待ってやっと私たちの注文の番。


私はチリ・ホットドッグサワークラウトを乗せたものとオニオン・リングスダイエット・コーラ


食べたチリ・ホットドッグ・サワークラウト乗せ、オニオン・リングスとダイエット・コーラ


昔は3ドルも出せば買えたものが今では倍の6ドルと言うから驚きです。


ピンクス(Pink’s)創業当時10セントと言うのですから時代はだいぶ変わったものです。


スタンド裏の庭に設けられたテーブル席で微風に吹かれながら、お腹を空かせた男3人ホットドッグにかぶりつきました。


ホットドッグを食べるケビンとマイク


プリっと噛み締めるホットドック、昔懐かしい味でした。


それも野外で食べてるので一層美味しさが増しました。


1時間ちょっとかけて食べに来る価値ありました。


食べ終わって席を立とうとした時はもう2時ちょっと過ぎ。


「今までで一番遅くなったランチだったな。今度はLAダウンタウンの『コールズ(Cole’s French Dip)』に行こう」とケビン。


2人の奥さんたち昼食会いつになるかで私たち男3人のランチの遠足日決まります。