アメリタ老の日々

アメリカ暮しが長いリタイヤおじさんの暮らしぶりを紹介

小さな街から大きな人が



公園への散歩途中高校があります。


今日、その学校の競技場でたくさんの人だかりがありました。


何だろうと覗くと、高校生が陸上競技大会を催していました。


行われていた学生陸上競技大会


その高校生ばかりではなく、近隣の市の公立高校からの陸上選手たちです。


また、彼らの家族友だちなど多くが観戦していました。


リレー長距離走走り幅跳びなど一連の陸上競技に若い高校生が競い合っていました。


この高校で大規模な学生陸上競技大会毎年行われているのには訳があります。


この高校からオリンピック選手輩出しことから、この高校の陸上競技クロスカントリーが盛んになり活動活発になったのです。


1936年ベルリンで開催されたオリンピックにこの高校の卒業生ルイーズ・ザンペリーニ5000メートル出場しました。


惜しくも8位という成績に終わりましたが、彼にはオリンピック選手だったという名の他にもうちょっと違うこと有名になりました。


ルイーズ・ザンペリーニは当然のことながら太平洋戦争で召集され、太平洋南方諸島の作戦に中尉として派遣されました。


ルイー・ザンペリーニ中尉


そして彼の乗る爆撃機がエンジントラブルのため激戦中の太平洋に墜落


45日漂流生活ののち、奇跡的に日本軍に助けられ捕虜になりました。


戦時中、捕虜虐待で悪名を轟かせた渡邊睦裕軍曹の元で散々酷使されて、終戦を迎えアメリカに帰国しました。


この模様は2014年アメリカ映画不屈の男 アンブロークン」としてロードショウされました。


映画のシーン ザンペリーニ捕虜と渡邊軍曹


ルイー・ザンペリーニ高校時代、この高校のクロスカントリー部所属していた関係上、同校のクロスカントリーは盛んです。


競技会が行われていた会場も彼の名を取りザンペリーニ・フィールドと呼ばれています。


こんな一高校からアメリカ中知れ渡った人が出たことや、今でも彼を讃えるかの如く、高校生が実力を競い合っていました。